競馬の歴史について

最終更新日 2024年4月30日 by prof

現在では庶民の気軽な娯楽としてすっかり定着した感のある競馬ですが、かつては貴族のスポーツと言われていました。
その歴史は、16世紀の英国にまでさかのぼることができます。

英国のチェスターという町に専用のコースが設けられる

当時、英国貴族の間では社交の一環として乗馬がたしなまれており、それぞれの所有馬の能力の高さを競う風潮がありました。
そのため、互いの持ち馬を一緒に走らせ、その優劣を決めるという遊びが自然に生まれました。
1540年、英国のチェスターという町に専用のコースが設けられ、統一されたルールに基づいたレースが実施されました。
これが、現存する中では世界で最古の開催記録とされています。
その後、同様の競走がヨーロッパ各国でも行われるようになり、また植民地の開拓によって北米や南米、オセアニアなどにも広まるようになりました。
現在では、毎日のように世界のどこかでレースが開催されています。

戦いの際には軍用車両と同じような性格を持つ生き物だった

ただ、かつて馬は人間にとって日常的な移動の手段であり、また戦いの際には今日で言う軍用車両と同じような性格を持つ生き物でしたから、何らかのかたちで馬の能力を競う催しは古代からさまざまな地域で行われてきました。
わが国の古い史料にも、その記録が残っています。
『続日本紀』という史書の中には、文武天皇の治世に当たる701年に朝廷において馬の競走が行われ、天皇もご覧になったとの記述があります。
また、京都の上賀茂神社では境内で馬を2頭1組で走らせてどちらが勝つかを競う「くらべうま」と呼ばれる神事が今も行われていますが、この催しの起源は11世紀の終わりにまでさかのぼるとされています。
このように、馬のスピードを競わせるという行為は洋の東西を問わず非常に古くから行われていました。
したがって、先に述べた16世紀の英国を起源とするのは、あくまでも今日見られるような近代競馬の歴史だということになります。

近代競馬がわが国にもたらされた時期

それでは、その近代競馬がわが国にもたらされたのはいつごろなのかと言うと、これは19世紀の半ば、江戸時代末期のことです。
当時、鎖国を解いたことによって外国との交流を開始した幕府は、各地に居留地を設けて限定的なかたちで外国人の在住を認めました。
居留地にはさまざまな西洋文化がもたらされましたが、その1つに競馬も含まれていました。
現在確認可能な資料によれば、居留地におけるわが国最古のレースの開催記録は1860年、横浜で行われたものです。
そして、幕府は1866年に同じく横浜に常設のレース場を設け、運営を外国人に任せました。
当時の日本では賭博がご法度となっていましたが、居留地内は治外法権だったので馬券の発売も行われていたと言われています。
その後、外国人が競馬に興じているのを見た日本人が模倣して各地で催しを行うようになり、レース場は当時の上流階級のための社交の場としてにぎわいました。
しかしながら、法律上の制限のために馬券が発売できなかったので、経済的な事情から徐々に廃れていきました。
昭和期には、軍馬の育成という観点から馬産の振興が活発化し、その流れに乗って馬の速さを競うための催しも盛んに行われるようになりました。
しかし戦局の悪化によって再び衰微し、終戦とともにいったんは終止符が打たれました。

農林水産省主導のもとに新たに国営のレースが開催される

わが国の競馬が再び息を吹き返し、今日に至る繁栄の歴史を歩み始めたのは、戦後間もない1948年のことです。
この年、戦前から存在したレースの運営団体が解散し、農林水産省主導のもとに新たに国営のレースが開催されるようになったのです。
これは戦争によって荒廃した畜産業の復興を支援するのが主たる目的でしたが、庶民は困難な暮らしの中に希望の明りをともす存在として熱狂しました。
その後、1954年には外郭団体が設立され、天皇賞や日本ダービーといった現在にまで至るビッグレースを運営するための体制が整備されました。

なお、国営レースが始まったのと同じ1948年には、新しい法律が制定されて都道府県や市町村などにも開催権が認められました。
これによって全国各地にレース場が作られ、自治体の財源獲得のための競走が行われるようになりました。
いわゆる「中央」のレースと「地方」のレースの二本立てになっているわが国のレース体系は、これが起源となっています。
また、現在のように「中央」に所属する馬と「地方」に所属する馬が同じレースに出走する光景が当たり前のこととして見られるようになったのは、1995年のことです。

まとめ

それ以前はそれぞれの所属馬はそれぞれの主催レースにしか出走することができず、たとえば地方馬が賞金の高い中央のレースに出るには、中央の厩舎に移籍するしか手段がありませんでした。
しかしこの年、指定交流競走及び特別指定競走という制度が設けられ、特定のレースに限っては開催団体の垣根を越えて出走することができるようになりました。
さらに2002年には、一定の成績を収めた地方所属の騎手が中央の騎手免許を取得する際のルールが緩和され、人的交流も進みました。
暴露王 競馬 評判より抜粋